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「物語」について

 投稿者:ヨムヨム  投稿日:2014年 3月18日(火)20時54分6秒
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  「物語」という言葉にはややこしい多義性がありますね。日常に広く使われる意味合いでは、「源氏物語」とか「平家物語」といった文学作品としての一つの形式であったり、個々の作品を指している事が多いです。それとは別の水準の概念として、「大きな物語」論ように、ある時代・社会の個人や集団の意識を無意識的に支えかつ束縛している世界観や価値観としてのストーリーという意味合いがあります。

割りやすい例は近代以前のヨーロッパ人の精神は基本的にキリスト教という大きな物語によって下支えされ同時に拘束を受けていたという事です。近代化の過程で合理主義的・科学的懐疑が人々に間に広がるに連れて、こうした前近代的な宗教観念は相対的に影響力を弱めました。これにより近代的自我は、宗教的思い込みから自由になる反面、その精神的基盤を失うことで安定性を失い、ある面での脆弱性を抱え込むことになりました。

実はそうした意味での「物語」は、必ずしもヨーロッパ中世を支配したキリスト教のような巨大な物語に限らず、大小様々なものがいつの時代・社会にも存在しています。それがあるために、中国人は中国人らしく、日本人は日本人らしく、韓国人は韓国人らしく、考え・行動するような社会的な特長が現れてきます。

小説はそうした意味での社会的に新しい「物語」を提示することもありますが、基本的には、現在あまり認識されていないこのような「物語」があるのではないかということや、あるいは公的な「物語」としていまこういう考え方が当然のように思われているが本当はそうではないと云うべき場合があるじゃないかといったような事を主題にしている事が多いです。小説が社会的な基礎的な物語を直接取り扱うというのはそのような意味です。顕在化している具体的な社会問題を取りあげることもありますが、基本的にはむしろ無意識的に潜在している「物語」を扱うほうが小説にとってより重要な役割であるように私は思っています。
 
 
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