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勉強の宗教性

 投稿者:ヨムヨム  投稿日:2014年 3月 6日(木)17時34分16秒
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  宗教性といえば受験勉強のようなタイプの「勉強」はまさに宗教行為を思わせるものがあります。というのも、長い学問的な議論の過程を圧縮して、その個々の結論だけをともかく丸暗記して得点を稼ぐゲームという性質を持っているからです。

教わるだけでなく教わった内容が本当に正しいのかを積極的に問い学ぶ過程の継続がすなわち学問するという事ですが、てっとりばやく試験をパスするために行われている受験勉強のような「勉強」の過程では教わった内容(例えば公式や歴史観など)をとりあえず正しいものとして無批判に丸暗記していきます。(もちろんすべての学生がそうしているということではありませんが)

学問の過程に信仰性が入り込んでくる問題はたしかに存在します。しかしそれは学問のジャンルによるものではなく、学問するものの態度によって左右される事柄でしょう。たとえばキリスト教神学ですら、非キリスト教徒が神への信仰を抜きにして純粋に学問的に研究することは可能です。

学問的な態度というのは例えばデカルトもカントもニーチェも読んでそれぞれの哲学者の考えを学ぶけれど、けしてデカルトの言った事はすべて正しいに違いないだとか、そういう盲目的・無批判的な立場にはまり込まないということです。反対に例えばニーチェが何かおかしな発言をしたところだけを取りあげて、ニーチェなんてただの狂人に過ぎないのだからその哲学もすべてに違いないだとか、そういう飛躍した何か決めつけたような態度を取ることも学問的なものでは無いと思います。
 
 
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