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科学的研究

 投稿者:ヨムヨム  投稿日:2014年 3月 5日(水)15時55分37秒
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  >とすると、心理学は心をどのように研究できるのでしょうか。研究できないから、心はないということになるのでしょうかね。

科学的には「心が存在するかどうかは科学的にはわからない」ということしかできません。具体的な人間を観察して心が有るのだろうと仮定したり想像することは可能ですが、科学的に間違いなく有るのだと証明することは不可能だからです。

そのように科学的に証明することが不可能な命題は科学的には答えを出せないので扱わないというのが純粋科学のルールです。行動派は自分たちの研究を科学にしようとこだわるあまりについ「心は存在しない」という非科学的な立場にはまり込んでしまいます。

しかし学問や研究というものは科学の専売特許ではありません。元々、科学の母胎である哲学や神学といった形而上学といった学問は狭い科学的なルールに縛られないものでした。それらの広範な知の領域を便宜的に狭めて、より普遍的な知識を研究しやすくしようとしたお約束のセットが科学というかたちになっています。

科学的な真理は便宜的な一つの真理の型に過ぎないのであって、科学的な真理の他に真理(本当の事)が存在しない訳ではありません。また科学的な真理だとされている内容もより厳密に考えれば誤魔化しを含んでいることがあります。

例えば天動説と地動説のどちらが正しいか。現在の科学的な説明では、昔は間違って太陽が地球の周りを回っていると考えられていたが、本当は地球が太陽の周りを回っていることが証明されたとしています。

これも本当は嘘ですよね。アインシュタインは天動説よりも地動説のほうが正しいと言えるのは、地動説に基づいたほうが天文学に関する様々な計算がよりシンプルにできるからで、全能の神様が作られた宇宙の法則が無駄に複雑であるはずが無いからだとしています。

要するに科学というのは純粋に客観的な立場を保っているポーズを取りながら、実際には宗教的な思い込みの影響から離れていないところがあると言えます。

心の実在が科学的に証明できないからといって、心理学が学問であることができない訳ではありません。

というのは科学的研究でさえ、理論的に仮説を立てるという研究とそれを実証する研究とは独立した別のものとして行われています。

学問として追求する際には、心の存在証明を待たずに、心の存在を仮定して論考を進めることは可能です。ただし深層心理学が科学的であることが不可能なのは、そのように論考した理論に実証や反証が不可能な内容を含んでしまう事になるからです。

例えばフロイト派やユング派においては夢を解釈することも重要な研究です。しかし個々の被分析者の語った夢の中の「この部分はこういう内容を象徴しているのだろう」という推論を様々な文献やその他の被分析者の事例を参考にしながら推し進めることは可能で、ある程度確からしい解釈に迫ることは可能であっても、その解釈が科学的に間違いなく正しいものであることを立証することは不可能です。

しかし少なくともユングやユング派の捉え方では、それらの解釈の一つひとつ科学的に正しいものであるかどうかは重要ではないのです。大事なことはその被分析者がどうのように心を整理して生きて行く方向性のヒントを見いだすかであって、個々の被分析者が夢の分析研究で見られる類型にどれくらいピッタリと当てはまるかは、あまり意味の無い問題であるということです。人類一般の夢分析から得られたヒントが個々の被分析者のケースで、役に立てば参考に用いれば良いし、類型から逸れるのであれば、逸れるなりにその人の個性が明らかになります。

この点でも河合隼雄さんは大胆な面白い発言をしています。先にあげた講演で、隼雄さんはユング派の理論は他人に適用できるものではないといっています。それは(ユング派のヒントを参考にして)自分という人間をどう理解するのかというものであって、自分以外の他人に当てはめて、ユング派の理論によればこの人はこういう人であるに違いないとは言えないということです。
 
 
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