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ゲイについて

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年 8月31日(水)10時15分16秒
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   教育産業に従事している者で、自分はゲイ(もしくはバイ・セクシャル)だと自称している筆者が上梓している本を読むと、
筆者の年代に従ってゲイを男色と分ける興味深い事実がある。

福岡大学に勤務している星乃治彦は、1956年に大学を卒業とあるので55歳くらいであろう。
広島修道大学に勤務している河口和也は、1963年生まれの48歳である。
中京大学に勤務している風間孝は、1967年生まれの44歳である。
灘高校に勤務に勤務している前川直哉は、1977年生まれの34歳である。

前川直哉は今年上梓した自著「男の絆」で、
<江戸時代の男色には、年齢による明確な役割分担がありました。年上が能動側、年下が受動側という原則が、暗黙の前提として存在したのです。武士や僧侶の世界で受動側に回るのは、稚児と呼ばれた少年の方です。カゲマ茶屋で受動側として売春を行っていたのも、原則として一定年齢までの少年たちでした。いずれにせよ、ボーイズ・ラブ用語でいうところの「年下攻め」は、江戸時代の男色には存在しなかったのです。「江戸時代の日本は男色に寛容だった、男色が流行していた」という場合、その「男色」とは「年上男性=能動、年下の少年(元服前)=受動」という、非常に限定された形だったことにも注意が必要です。P28>
と言っている。

また、 河口和也と風間孝は去年上梓した共著「同性愛と異性愛」で、
<男色と同性愛はしばしば区別なく論じられてきた。しかし、この両者は、似て非なるものである。男色とは、古代までさかのぼることのできるものであり、男性間の単なる性的関係ではなく、成人前の年下の男性と成人した男性のあいだの、性行為を含む親密な関係を指す。未成年の男性は受動的な役割を求められたのに対し、成人男性は能動的な役割であるとされた。まず、年齢差をともなう、対等ではない関係であるという点において、現代の同性愛一般とは異なっている。P95>

 40代半ばの河口和也と風間孝が、<成人前の年下の男性と成人した男性のあいだの>と言っているのに対して、
34歳と若い前川直哉は<武士や僧侶の世界で受動側に回るのは、稚児と呼ばれた少年の方です>
<その「男色」とは「年上男性=能動、年下の少年(元服前)=受動」という、非常に限定された形だった>と、
より明確に言っている。
それに対して、55歳の星乃治彦は、こうした事実には触れることなく、同性愛差別の解消を訴えている。

 河口和也と風間孝が、男色と同性愛の区別を言う前には、日本人では誰もこうしたことをいう者はいなかった。
ゲイを自称する者が書いた本はたくさんあるが、同性愛者は昔からいたとか、
差別されていたとか、人口の○○%は同性愛者だというのが常だった。
しかし、1年たつと前川直哉が同じことを言いだした。

 つまり論者の年齢が下がるに従って、年上男性=能動、年下の少年=受動ということを強調するようになる。
それによって、現代のゲイと江戸時代の男色を区別し、両者を別物として扱おうとしている。
我が国でもゲイが認知され市民権を獲得してきて、差別の解消だけを訴える時期を過ぎて、ゲイであることの背景を見つめるようになった証だろう。
この傾向は続くと思うが、ちょっと気になるのは前川直哉が<年下の少年(元服前)>と言っている点である。
これは元服後の間違いだろう。現在、筆者に問い合わせ中である。

 河口和也と風間孝も<成人前>と言っているので、ひょっとすると受動側として未成年者を考えているのかも知れない。
とすると、彼らの認識は怪しくなるのだが…。
いずれにしても、ゲイが市民権を得つつある証であり、とても良い傾向だ。
 
 
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