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サンダカン8番娼館

 投稿者:サンダカン  投稿日:2012年 8月29日(水)01時09分33秒
  現代の僕らが読んで感動するのは
おサキさんの言葉であり
作者の文章ではない。
研究者?の上から目線がとても嫌な本。
あぁ、おサキさんに直接会いたかったなぁ。
 
 

「失敗の本質」に関連して

 投稿者:たくみ  投稿日:2012年 4月30日(月)10時22分4秒
   清宮さん、こんにちわ。
 日本人のものの考え方や組織論は、ボクの追求するテーマでもありました。1982年に<認識×6+忘我論>を書いて、日本人の発想に同じような問題意識を持っていました。
http://coolboy.org/ninnshiki-6/001-kami.htm
「失敗の本質」は、かなり昔に読んだ本なので記憶も不確かになっていますが、「失敗の本質」には啓発されました。

 最近、小松真一の「虜人日記」を読んで感心し、山本七平へと興味が連なりました。山本七平の名前は知っていたのですが、キワモノ的な偏見を持っており読まず嫌いをしていました。しかし、「一下級将校の見た帝国陸軍」や「私の中の日本軍」を読んで、認識を完全に改めました。「空気の研究」を読むに及び、「失敗の本質」の追求した原因が解き明かされているように感じて、すでに故人になっていますが敬服しました。

 「失敗の本質」と「空気の研究」は、通底するものを感じます。<新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造>する方向が、「空気の研究」で相当程度に提示されているのではないでしょうか。得心する部分が大きかったです。近々ブックレビューで取り上げるつもりです。

 蛇足ながら、同じ6人によって「戦略の本質」が上梓されていますが、こちらは残念ながら感銘を受けませんでした。



 

今も変わらぬ封建的思想

 投稿者:清宮孝治  投稿日:2012年 4月28日(土)07時48分17秒
  失敗(敗因)の本質がこれほど克明に説明されている書物を今まで見たことがなかった。今までわが国の中でこのような人達(6人)がいるとは気付かなかったことを恥じています。
この書物の中で特に私が気に入った箇所は「統合的価値の共有」p392(中央文庫)であります。哲学から言うと弁証法を髣髴とさせるところがあります。
  さて、この書物の終わりに今日(2012年でも同じ)でも戦前と同じような思想に成りつつある(p400)と書いてあります。 これでは「失敗」を本当に学んでいるとは思いません。6人のみなさん「新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかどうか、、、」を教えていただけたら幸いです。 でなければ軍閥(封建思想)がこれからも脈々と続いていくのではないでしょうか。
 

女は主婦か売春婦に一本化しろ

 投稿者:  投稿日:2012年 4月20日(金)07時12分33秒
  女は主婦か売春婦に一本化しろ

女の社会進出は時代遅れ
先進国では女性の社会進出は減り続けている

いつまで田島洋子時代でいるつもりなんだ気持ち悪いフェミニストどもは
時代を考えろ
 

スラムのでき方

 投稿者:たくみ  投稿日:2012年 3月20日(火)15時57分40秒
   aaさんの鉄道説にも理があるように思います。鉄道と貧民はおおいに関係がありますね。
参考になるか判りませんが、用地買収の問題があって、どこでも鉄道は貧民街を通りやすいものです。とくに初期の鉄道は、騒音・煤煙などによって嫌われていましたから、レールの敷設は困難だったようです。また、川や橋の付近も一般に嫌われていますね。そう考えると、鉄道がスラムを作ったと言えそうにも感じますが、両者ともに近代の産物でしょうから卵が先か鶏が先か、どちらなのでしょうか。

 

「東京の下層社会」の三大スラム

 投稿者:aa  投稿日:2012年 3月17日(土)08時01分21秒
  この板に書き込んで良いものかわからないが、短時間で他にページがみつからないので、、、
1.紀田先生は言う。下谷万年町は繁華街である浅草寺や上野駅に隣接していたので、車夫などの生活に便利だった。四谷鮫ヶ橋は陸軍士官学校の残飯があった。芝新網町は海軍兵学校の残飯があった。、、、なぜその場所なのかの説明に便利を挙げているが賛成できない。そのような側面があったことを後から理由にしたのではないだろうか。下谷万年町はその方角にあったというだけであり、当時の東京市街の最もはずれに位置しておりその向うは村部だった。陸軍士官学校はもちろん今の防衛省であり、四谷鮫ヶ橋はかなり離れていてむしろ造兵廠や練兵場のほうが近い。海軍兵学校があったのは築地であり、芝新網町はやはりかなり離れている。
2.四谷鮫ヶ橋の近辺は学習院があることもあって超高級マンション街になっているし、それぞれの土地に住んで居られるかたには失礼ではあるが、敢えて言う。現在私がその位置に立ってみて、三つの街に共通するのは、なぜこんな場所があるのだろうかという感覚であり、勝手の悪さを非常に感じる。そこで別の説を立てたい。明治の時代と現在と変わらないもの、そして私にその様に感じさせるものは、鉄道の線路である。下谷万年町は上野に始まる日本鉄道。四谷鮫ヶ橋は飯田町に始まる甲武鉄道。芝新網町は新橋に始まる官営鉄道。芝新網町の場合鉄道は海岸を走っており、「土地が分断された」とは言えないが海が遮断されたのであり、結果は同じことだ。日本鉄道は上野の山と飛鳥山を利用して山と平野の境目を走っている。甲武鉄道は外堀で天然の立体交差を実現しており、四谷鮫ヶ橋のあたりはやはり山と低地の境目になっている。元々がそういう地形のところへ、鉄道が通ったために土地が分断され、一種の袋小路のようなエアポケットになる場所が生まれて一般の人々に敬遠された。そして逆に、貧民が密集して住むようになったのではないだろうか。
 

武家の女性

 投稿者:ふろすと  投稿日:2012年 2月 6日(月)02時14分59秒
  この本は読んでいないので、本の内容がおかしいのか、読んだ方の解釈が間違っていたのかわかりませんが、確かに父親が隠居するまでは、長男が父親の職を継ぐということはありませんが、だからといって部屋住み(旗本の次男三男などは、これを厄介といったようですが)が職に就けないわけではありませんよ。能力があり、認められれば職に就くことは可能です。家の制度として、次男三男は家を継げませんので、厄介の身分のままですが、そのままで役に就き、出世した(幕府の高い地位についた)例も結構あるようです。ただ、江戸も後半に入ってくると就職難になって来まして、こうした旗本の次男三男坊は、努力しても職を得るチャンスがなくなってきたというのは事実のようです。それ以外では、他家に婿養子に入るということですね。そうなればその家を継ぐことができます。
だから、制度として次男三男が職に就けなかったという訳ではありません。
それから、厄介は、厄介になっている家(つまり、普通は父親、もしくは長兄、後には、その家を継ぐ長兄の子供)から扶持をもらいます。つまり、形の上では家臣のような形ですね。かといって本当の家臣というわけでもないですから、微妙な扱いではあるようで、実際職を得ることができなければ屋敷の一隅に部屋を与えられて、そこにこじんまり住んでいるという感じみたいです。文武に励み、就職活動をしていたんでしょう。当然結婚もままなりませんが、この場合、身分の低い女性を身の回りの世話をする人として雇うということがあったようです。この場合、この女性は、性的な意味での相手もするという約束になっているようですが、ここで子供が生まれても、この人が妻になることはない、というのは、ご存じの通りです。
 

プリンターのインク

 投稿者:たくみメール  投稿日:2012年 2月 4日(土)09時27分49秒
   プリンターを買い換えたので、買い置きしていたインクが不要になりました。
もし使う人がいれば、無料で譲ります(送料は着払いで願います)。
  キャノン BCI-6
 マゼンタ×2、シアン×2、黒×1、フォトマゼンタ×1 の以上6ヶです。
連絡先をお知らせ下さい。
 

ダメ両親をビジネスに

 投稿者:ヒサ  投稿日:2012年 1月11日(水)18時11分51秒
  どうにか毒親をビジネスに
出来ないだろうか?
最近考える。

被害者に格安な第3機関を提供するとか。
金八みたいな先公や専門家を読んだり、
借りるサービスとか。

起業家や専門家に
相談してみようかと思うんだが。
需要はある気がする。

仕事がなくて困ってる奴とか、
親から距離を置く為の
金も稼げて一石何鳥?みたいな
システムにどうにかできないか。
考えてる奴いる?

公的に公表されるのを何よりも
毒親は恐れてる部分があるから、
2ちゃんなんかで愚痴ってても
所詮陰湿なサイトの傷の舐め合い
とバカにされるだけ、
もっと公表してしまうべきだと思う

 

(無題)

 投稿者:40代女  投稿日:2011年10月20日(木)03時08分6秒
  黒田清輝も一方的な離婚をしてますねw
家制度からの解放に苦しんだ挙句に女性に対し封建的な態度で接するという皮肉。
 

法の下の平等

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年10月 4日(火)10時32分51秒
   婚外子=非嫡出子の相続分を、結婚している夫婦間の子(嫡出子)の半分とする民法の規定をめぐり、
大阪高裁が「法の下の平等」などを定めた憲法に違反するとして、婚外子に同等の相続を認める決定をした。
決定は8月24日付で、嫡出子ら相手側は特別抗告せず確定しているという。

 高裁だけれど、非嫡出子差別が少しでも是正されるのは、ほんとうに良いことだ。
核家族を正当と見なす家族制度は、もはや時代錯誤になっている。
 

元服前か後か

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年 9月22日(木)12時15分7秒
   男色の相手となったのは、元服前の男児ではなく、元服後の男児ではないかと問い合わせたところ、
<まだ調査中であり、現段階での仮説的な推量に過ぎませんが>という註釈付きだが、
下記のように考えると前川さんから返事をもらいました。

 実際の男色では「元服後」の男性が受動的立場になることも少なくなかったと思われます。
ただ、近世の史料や春画などに出てくる男色の「前髪」へのこだわり具合を見ていると、
成人した男性に対して性的な視線を投げかけることはタブー視されていたのではないか、という感もあります。
つまりあくまで、男色の対象として想定されていたのは「大人ではない」男性だったのではないか、と。
<中略>理念としての男色は元服前の少年(稚児)に対するものだったのでは、とも感じ、「元服前」という表記を用いました。<中略>
ただ、ご指摘頂き拙著を読み返すと、確かにこの部分は正確さを欠く表記だったと感じます。<中略>
いずれ修正の機会があれば、「元服前」の語を外し、「年下の少年」のみの表記へと修正したいと考えています。

 真摯な返事を頂いて恐縮だが、元服前と言えば、数えで13~15歳にならない年齢である。
現在の小学生くらいだから、この年齢の少年に成人男性の勃起した性器を挿入することが可能だっただろうか。
いくら潤滑剤などを使っても、まだ骨格が華奢なうえに肛門も小さくて難しかっただろう。
成人男性とのあいだでセックスを行うのはタブーだったのは事実だが、
男色の相手になったのは元服後から21歳くらいまでの男性だったはずである。








 

ゲイについて

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年 8月31日(水)10時15分16秒
   教育産業に従事している者で、自分はゲイ(もしくはバイ・セクシャル)だと自称している筆者が上梓している本を読むと、
筆者の年代に従ってゲイを男色と分ける興味深い事実がある。

福岡大学に勤務している星乃治彦は、1956年に大学を卒業とあるので55歳くらいであろう。
広島修道大学に勤務している河口和也は、1963年生まれの48歳である。
中京大学に勤務している風間孝は、1967年生まれの44歳である。
灘高校に勤務に勤務している前川直哉は、1977年生まれの34歳である。

前川直哉は今年上梓した自著「男の絆」で、
<江戸時代の男色には、年齢による明確な役割分担がありました。年上が能動側、年下が受動側という原則が、暗黙の前提として存在したのです。武士や僧侶の世界で受動側に回るのは、稚児と呼ばれた少年の方です。カゲマ茶屋で受動側として売春を行っていたのも、原則として一定年齢までの少年たちでした。いずれにせよ、ボーイズ・ラブ用語でいうところの「年下攻め」は、江戸時代の男色には存在しなかったのです。「江戸時代の日本は男色に寛容だった、男色が流行していた」という場合、その「男色」とは「年上男性=能動、年下の少年(元服前)=受動」という、非常に限定された形だったことにも注意が必要です。P28>
と言っている。

また、 河口和也と風間孝は去年上梓した共著「同性愛と異性愛」で、
<男色と同性愛はしばしば区別なく論じられてきた。しかし、この両者は、似て非なるものである。男色とは、古代までさかのぼることのできるものであり、男性間の単なる性的関係ではなく、成人前の年下の男性と成人した男性のあいだの、性行為を含む親密な関係を指す。未成年の男性は受動的な役割を求められたのに対し、成人男性は能動的な役割であるとされた。まず、年齢差をともなう、対等ではない関係であるという点において、現代の同性愛一般とは異なっている。P95>

 40代半ばの河口和也と風間孝が、<成人前の年下の男性と成人した男性のあいだの>と言っているのに対して、
34歳と若い前川直哉は<武士や僧侶の世界で受動側に回るのは、稚児と呼ばれた少年の方です>
<その「男色」とは「年上男性=能動、年下の少年(元服前)=受動」という、非常に限定された形だった>と、
より明確に言っている。
それに対して、55歳の星乃治彦は、こうした事実には触れることなく、同性愛差別の解消を訴えている。

 河口和也と風間孝が、男色と同性愛の区別を言う前には、日本人では誰もこうしたことをいう者はいなかった。
ゲイを自称する者が書いた本はたくさんあるが、同性愛者は昔からいたとか、
差別されていたとか、人口の○○%は同性愛者だというのが常だった。
しかし、1年たつと前川直哉が同じことを言いだした。

 つまり論者の年齢が下がるに従って、年上男性=能動、年下の少年=受動ということを強調するようになる。
それによって、現代のゲイと江戸時代の男色を区別し、両者を別物として扱おうとしている。
我が国でもゲイが認知され市民権を獲得してきて、差別の解消だけを訴える時期を過ぎて、ゲイであることの背景を見つめるようになった証だろう。
この傾向は続くと思うが、ちょっと気になるのは前川直哉が<年下の少年(元服前)>と言っている点である。
これは元服後の間違いだろう。現在、筆者に問い合わせ中である。

 河口和也と風間孝も<成人前>と言っているので、ひょっとすると受動側として未成年者を考えているのかも知れない。
とすると、彼らの認識は怪しくなるのだが…。
いずれにしても、ゲイが市民権を得つつある証であり、とても良い傾向だ。
 

完全なる女性誌

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年 8月26日(金)17時23分13秒
  河出書房の「完全なる女性」ですか。
http://www.rin-5.net/001-250/069-kanzen-josei.htm
ですね。
しかし、自分で知っていることを注文するとは、曾山さんはよく判らない人ですね。
 

完全なる女性の件

 投稿者:曾山 工メール  投稿日:2011年 8月26日(金)15時58分2秒
  ご連絡に感謝致します。申し訳御座いませんが河出書房の完全なる女性でないとだめです。  

完全なる女性誌

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年 8月26日(金)10時31分19秒
  「完全なる女性誌」ですか…!

では、鹿野政直の「現代日本女性史」をおすすめします。
http://www.rin-5.net/251-500/406-gendai_joseishi.htm

それに、瀬川清子「婚姻覚書」をトッピングすると良いでしょう。
http://www.rin-5.net/251-500/388-kekkon_oboegaki.htm
 

注文

 投稿者:曾山 工メール  投稿日:2011年 8月25日(木)13時50分46秒
  完全なる女性誌を注文したいのですが。  

腐女子とオバサン

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年 8月17日(水)13時14分29秒
   腐女子とロリコンですか…。何だか哀しい気がします。
おそらく我が国では男女が、互いに気持ちよく向き合えない状況と関係あるのでしょう。

 我が国では離婚や死別によって、夫と別れた女性たちは、1人が気楽で良いと言ってなかなか再婚しようとしません。
既婚女性たちも、若い時代には恋だ愛だと言っていたのに、
中年になると亭主元気で留守が良いとなって女性同士で遊んでいるようです。
海外の女性たちはすぐ再婚するのに、どうしたことなんでしょう。

 この背景には男性支配が強固に残る我が国の現状があり、女性が社会の表舞台に登場しにくいのでしょう。
だから、私生活でオバサン同士の活動へと流れていくのではないでしょうか。
また、腐女子は参加できないBLを眺めて、自分の希望にそう男を心の底に思い描いているのでしょう。
女性が参加できないと言う意味では、BLも男性支配社会も同じです。
そう言った意味では、オバサン集団と腐女子は同じことの違う表現にすぎないように感じます。

 アンペイド・ワークを評価し続け、女性の社会進出をはからずに、
女性への保護を求めてきた大学フェミニズムは、現実から裏切られている気がします。
それは草食系男子が増えて、男性も女性とのセックスを指向しなくなってしまったことです。
女性に気持ちの良いセックスを奨励し、子供ができても男性に押しつけてしまえば良いと言うべきでした。
ポーカー・フェイスを歌うGAGA様のように、自分はすぐ寝ちゃうんだと言っても、
あれだけの人気があるのは彼女がフェミニズムの申し子だからでしょう。

 

女性のダメさ

 投稿者:たくみメール  投稿日:2011年 8月11日(木)11時21分23秒
   我が国の女性たちが、コミュニケーション不全なのは今さら言うに及ばずです。
女性は弱者だと言ってしまったところから、女性の転落は始まっています。

 フェミニズムの斬新さは、弱者=第2の性だった女性が、強者=第1の性になるんだというところにあります。
それには、子供を捨てなければ男性と同様に働けないから、映画「クレーマー、クレーマー」が見せたように、
涙をのんでまず子供を捨てることでした。
 自分自身の自立のために、愛する子供を男性に押しつけて、女性が家出することがまず最初でした。
「クレーマー、クレーマー」の最後で、ヒロインのジョアンナは親権を勝ち取ったにもかかわらず、
子供は母親だけが育てるものではないと放棄してしまいます。
これこそフェミニズムの輝かしきメッセージだったのです。

 子供を男性に押しつけたから、女性は身軽な男性と対等になれた。
そして、ピルを服用して妊娠しない身体を手に入れ、男性と同じセックスができるようになった。
フェミニズムは女性を第1の性にしましたね。

 我が国のフェミニズムが避けたもう一つは<子捨て>でした。
大学フェミニズムは子供を手放さず、いまでも母性愛に生きています。
そして、女性は自分で自分の身体を管理しないのですから、我が国の女性たちは幼稚で半人前のままです。
専業主婦として子育てに勤しめば、男性たちの保護があるし、ぬくぬくとした環境に住み続けられます。
弱者である女性は、強者の男性たちが保護してくれますからね。

 フェミニズムにはヴァレリー・ソラナスのような女性がいたのです。
自立しようとしない大学フェミニズムは、チャンチャラおかしいですよ。

映画「クレーマー、クレーマー」については下記を参照してください。
http://www.takumi-cinema.com/tankazoku/movie-monofamily-1-3.htm
上のURLをクリックしても、直接リンク先には飛びません。
リンク先に飛ぶのは10秒後、もしく次ページに表示されるURLをクリックしてください。


 

リンク先

 投稿者:へむ  投稿日:2011年 8月11日(木)00時33分12秒
  お教えいただいたリンク先ですが残念ながら参照できなくなっているようです。

 ところで私もBL自体はOKですが、ポルノを「ポルノでない」と否定するような欺瞞はよくないとも思います。
 実のところ図書館がポルノを所蔵するのも、歴史的・文化的な価値もあることだしよいことだと思うのですが、判断力の未熟な未成年者への自由閲覧・貸し出しに関してはNOという立場です(未成年者向けのポルノがあるなら別ですが)。
 ゆえに堺市図書館のBL騒動に関しては、フェミ団体は未成年者への影響を無視しているうえ、ポルノを「何か違うものであるかのように」誤魔化しているのであえて反対の立場を取りました。

 ところで腐女子ですが、彼女らは異性愛者であり(よく性同一性障害者やレズのフリをして当事者たちに嫌われているようです)、
大概は既婚者や彼氏持ちの普通の女性です。
 ネットのロリポルノの愛好者が、若い独身の男だけでないのと同じです。
 ロリコンは増加しつつあるようですが、腐女子も同様です。
 マスコミは認めたがりませんがコミュニケーション不全なのは男だけではないようです。
 
 

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