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芦部「憲法判例を読む」について

 投稿者:たまたま見つけたもので  投稿日:2014年 7月30日(水)14時34分16秒
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   突然の投稿で失礼します。
 たいへん古い記事についてのものですが、芦部信喜の「憲法判例を読む」の書評について一言意見を申し上げます。
 匠さんは、本書の記述である「検閲の主体を公権力ではなく行政権だと考える説です。したがって、「検閲」と「事前抑制」は概念的に区別されます。どちらの説をとってもそれほど結論的に違うわけではないのですが、ただ、論理の筋道にちがいが出てきます。」を捉えて、芦部理論を権威主義的なものと批判されますが、これはやや的外れなもののように感じます。
 芦部が検閲の主体に司法権を含めないことの意図は、以下の通りです。
 すなわち、司法権は、場合によっては、プライバシー侵害や名誉権侵害の事案で出版を事前に差し止めなければならない場合がある。したがって、司法権を検閲の主体に含めてしまうと、検閲禁止の例外を認めざるを得ず、ひいては「検閲禁止」という概念自体が例外を含むものとなる。そのため、行政権に対する検閲禁止にも例外が生じかねない。これは、たいへん危険である。
 そこで、検閲の主体を行政権に限ることで、「検閲禁止」を一切の例外のない絶対的概念とする。司法権については、憲法が表現の自由を保障する趣旨にかんがみ、「事前抑制の禁止」という形で、事前差し止めを原則として禁じる。「事前抑制の禁止」はプライバシー侵害や名誉権侵害の事案のような例外を含む概念ではあるけれども、その例外も、表現の自由の根拠の一つである思想の自由市場という考え方を踏まえれば、極めて限定的にのみ認められる、というものです。
 このように解することで、司法権を検閲の主体に含めた場合に比較して、公権力の作用をより制限的なものとすることに芦部の意図がありました。したがって、既述のとおり、これを捉えて「権威的」というのは少々的外れであると思います。
 
 
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