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症例ミス・ルーシー・R (補足)

 投稿者:ヨムヨム  投稿日:2014年 3月21日(金)15時33分7秒
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  先に症例ミス・ルーシー・Rをあげたのですが誤解を生じかねないので補足します。

ミス・ルーシー・Rもフロイトの初期の症例の一つで、ユングもフロイトも研究の初期にはこのような単純な構造をもった症例に触れて、神経症自体がこれらの例のように割と単純な構造で成り立ったものだと考えていたそうです。ところが研究を進めると、通常、神経症やそれに関わるコンプレックスは複雑な多層構造を成しており、それほど簡単な問題ではないことがわかってきます。

しかし基本的な概念を説明するうえでこうした単純な症例は便利であるために、実に頻繁に引き合いに出されて来たのです。そのため一般の神経症やコンプレックスに関する理解が「心のしこり」をとってやればなおるものだというほどに単純化され過ぎている、と河合隼雄さんは指摘しています(『コンプレックス』)。

心の問題というのは非常に複雑でわかりにくいので、我々はつい直観に頼ったり、複雑なものを過剰に単純なものだと思い込むことによって、誤解を生じます。これはある程度避けがたいことですね。

フロイトは意識の主体性を複雑に規制する様々な心の仕組みを明らかにすることで、人間の主観的な意識がそれほど当てにならないことを示しました。本人の自我が「どういうつもりである」という事と、実際はどうであるかはまったく別であり得るということですね。

ユングがフロイトと大きく違うのは、フロイトは理詰めで精神分析をした結果としての患者についての推論をほぼ間違い無いものだと確信を持つのですが、ユングはそうした分析を受けて患者自身がどう考えるかという問題であって分析が確定的な事実を明らかにするのではないと発想します。その意味でユングのほうが曖昧さを許容する態度といえます。

例えばある患者が分析の結果、「救世主コンプレックス」と呼ぶべきものを持っている(これはある程度、確定的に診断できる)ことが明らかになっても、その人が実際に「世の中のためになることをしたい」と考えていることが「救世主コンプレックス」によるものなのか、それともそうしたコンプレックスとは別個の健康な価値観であると見るべきかは誰にも断定することができず、強いて言えば、患者自身の自己判断を尊重するのが最も妥当な態度であろうということです。

こうした曖昧さは、あるいは非科学的かもしれませんが、それでも複雑な人間の心を扱う学問として(断定的に割り切るよりもよほど)適切なあり方であるように感じています。私が個人的にフロイトよりもユングに魅力を感じるのはこうした点です。
 
 
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