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<若衆は元服後>の続き

 投稿者:たくみ  投稿日:2017年 6月26日(月)14時36分56秒
   北川さんからは何の音沙汰もないので、Newsphereというサイトに問い合わせてみた。するとNewsphere編集部のMさんから、検討するので時間をくれと連絡があった。
しばらくたって、「執筆者の北川を含め編集部内で協議・検討を行いました結果、現状の表現で問題ないという結論に至りました。」というメールが来た。

 理由が書いてないので、改めて「なぜ若衆は元服前だというのか」問い合わせてみたが、それ以降なんの連絡もない。
間違いを改めることは恥ではないのに、こうした黙殺する対応をとることは、知的な怠慢としか言いようがない。Newsphere全体の信用を落とすことだと気がついていないのだろう。

 かつて太田出版の出版物が、当サイトの記事を剽窃したことがあったが、そのときの太田出版の社長は立派な対応だった。
匠研究室は間違えを直すことに真摯でありたい。
 
 

男色の相手は元服後です。

 投稿者:たくみ  投稿日:2017年 6月12日(月)15時12分37秒
   北川和子さんが、 Newsphereというサイトに<海外でひそかに注目集める「ニッポンの第三の性」とは? 消滅した自由な性愛文化に脚光:5月16日>という記事を書いている。以下引用してみる。

   現在、米ニューヨークの「ジャパン・ソサエティー(JS)・ギャラリー」において、江戸時代における「若衆」と呼ばれる少年を描いた浮世絵などを紹介する展覧会「第三のジェンダー:浮世絵に描かれた若衆」が開かれ、米紙ニューヨーク・タイムズや英紙フィナンシャル・タイムズで紹介されている。(中略)日本において、あまりなじみのない「若衆」の存在であるが、彼らは元服前の若い少年を指す。男色を相手にする少年を意味することもある。http://newsphere.jp/culture/20170516-2/

という文章とともに、春信の浮世絵も掲載されている。日本文化の紹介だから元服前か元服後といった些細なことには目をつぶろうかと思った。しかし、本文を読むと、<少女のようにも見える少年時代限定の髪型や衣装、そしてその未熟で刹那的な麗しさが成人男性・女性の性的対象となったという点を説明している。>とあり、完全に誤解している。これでは男色も泣くというものだ。あえて下記のようなメールを送った。

こんにちわ。貴姉の書かれた記事を拝読しました。                    5月22日付
海外でひそかに注目集める「ニッポンの第三の性」とは? 消滅した自由な性愛文化に脚光
上記記事中、「若衆とは元服前の若い少年」と書かれてたいましたが、元服後の若い少年の間違いじゃないでしょうか。
前川直哉さんも「男の絆」で元服前の少年を相手にしたと間違って書いています。

 元服は数えで15歳くらいでしたから、今で言えば13~14歳です。
まずこの年齢前の子供は成人男性を受け入れられるほど、骨格が頑丈になっていません。
「15でネエヤは嫁に行き」という童謡もあるように、性的な対象になるのは男女ともに15歳過ぎてからです。
また、15歳を過ぎる頃には奉公に出たように、大人と扱われ始めます。
しかし、15歳を過ぎただけでは、完全に大人扱いはされず、この半人前の時代を若衆と呼んだのです。
現代でも高校生などに美しい男の子がいますが、かつてなら男色の相手に引っ張りだこだったでしょう。

元服前の子供を性の相手にする文化は、地球上のどこにもないでしょう。
元服前の子供に性的魅力を感じるのは、ペドフェリアという小児性愛で、いつの時代も病気扱いです。
彩流社「ゲイの誕生」を上梓していますので、ご参考にしてください。



   北川和子さん                                     5月31日付
こんにちわ。残念ながら、お返事メールはありませんでしたね。
元服後でも元服前でもたいした違いはない、記事の紹介にこそ意味があるのだとお考えかも知れません。
しかし、この違いは大きいのです。

15歳くらいから性的に大人扱いするのは、前近代では世界的に一般的です。
昭和天皇は16歳の母親から生まれているし、古代ローマでも15歳になれば結婚できました。
つまり、セックスの開始が男女ともに15歳くらい=元服頃だった。
だから元服後には男女ともにセックスをし、男色の相手もしたわけです。
貴姉がいわれるように元服前だとすると、日本は幼児虐待天国だったことになってしまいます。

当方も間違いの指摘をうけることがありますが、その指摘は有り難いと思って返事メールを出しています。
当方は貴姉の間違いをあげつらっているわけではなく、正しいことを共有したいだけです。
貴姉はまだお若そうなので、是非、真摯に取り組んでください。
http://coolboy.org/
上記が当方のサイトです。

 しかし、なぜ元服前に間違うのだろうか。元服前ではまだ子供で色気もないだろ。精通も経験して大人の身体に近づくから元服するのだし、ここから前髪を下ろすまでの思春期こそ瑞々しい若者=若衆ぶりである。デビュー当時の羽生結弦さんのような中性的な魅力が、成人男性たちを悩殺したのだ。
 指摘を受けて無視するのは、知的に怠惰であることの証明です。 ちなみに若衆を<わかいしゅう>と読めば、職人などの世界では現代でも使われている言葉です。
 
 

ダバオの盤上遊戯

 投稿者:たくみ  投稿日:2017年 2月 8日(水)11時52分55秒
   フィリピンのダバオに旅してきた。
http://www.ichi-5.com/014-davao/001-1.html
そこでは路上で男たちが盤上遊戯、つまり将棋やチェスに興じる姿があった。

 1995年頃にはタイやマレーシアでさかんに遊ばれていたし、
2000年頃にはベトナムでも路上の盤上遊戯がさかんだった。

そこから盤上遊戯の普及は近代化のメルクマールじゃいないか、
つまり路上で盤上遊戯が遊ばれると、その地域は近代化を始めるという仮説を立てていた。
 近代化に後れをとったフィリピンだが、盤上遊戯の普及をみると近代化に入るのだろうかと思わせた。

 最近、碁や将棋と、少し前にはチェスとコンピューターとの対戦で、人間が負けたことが話題になっていた。
盤上遊戯の普及で近代が進展したにもかかわらず、人間がコンピューターに勝てなくなったのは、
盤上遊戯で試された論理的な思考が限界に来ているのかもしれない。

 考えてみると、これは近代が終わり次のステージに進みつつある暗示ではないだろうか。
なにせ女性がチェスの世界ランキングに入ってきたのだから。
 

大学生からの感想

 投稿者:千早  投稿日:2017年 1月23日(月)06時25分42秒
  剣道で頭を下げるのが嫌だったって記事内で読んで君が代斉唱の際の不起立教師を思い出した。
可哀想な人。日本に生まれたのに。
 

リトルボーイ

 投稿者:たくみ  投稿日:2016年 9月 4日(日)01時13分35秒
   久しぶりに優れた映画を見た。この映画を見たために、タクミシネマを再開したほどだ。
時代設定は太平洋戦争の時だが、見事なまでの現代的な問題意識である。
http://www.takumi-cinema.com/2016/001-littleboy.htm
ぜひ劇場でご覧あれ。
 

黒人スイマー

 投稿者:たくみ  投稿日:2016年 8月13日(土)14時47分45秒
   オリンピックでは日本人選手の入賞が、華々しくマスコミ報道されている。
これはこれで慶賀の至りである。

 競泳の個人種目で、マニュエルという黒人女性が、はじめて金メダルを獲得した。
今後は水泳でも人種の壁を越えて活躍して欲しいものだ。
 

トルコのクーデター

 投稿者:たくみ  投稿日:2016年 7月18日(月)13時53分37秒
   7月16日におきたトルコでのクーデターは失敗した。この失敗に苛立っているのは、アメリカだろう。
 アメリカ国務省ではケリー長官が「クーデターの試みに米国が関与したとの示唆や主張は完全な誤りで、両国関係に悪影響を与える」と述べたが、アメリカがクーデターを企画しEUが承認しているのではないだろうか。

 トルコがイスラム色を強めており、このまま行くと中東からコソボやアルバニア辺りまでイスラム一色になってしまう。シリア・イラクが自由にならない現在、選挙で選ばれたエルドアン大統領のイスラム色が強くなるのは困るのだろう。アメリカのネオコンがグルジアの抱き込みに成功したが、イスラムのアゼルバイジャンといい、トルコが強固なイスラムになってしまうと西側諸国はこの地域に基盤を失ってしまう。

エジプトでは2013年に民選された大統領が、クーデターによってわずか1年で倒されたが、これと同じ構造があるのではないだろうか。
 

対応の違いは?

 投稿者:たくみ  投稿日:2016年 7月 9日(土)10時00分47秒
   バングラデシュで20人以上が死亡する事件が起きて1週間が過ぎた。殺された人たちはさぞ無念であったろう。心から冥福を祈る。遺体の帰国のために政府は専用機をだし、死んだ人には200万円の弔慰金を支払うと発表した。

 それにしても思い出すのは、2004年におきたイラク邦人人質事件である。この事件でボランティア活動をしていた若者3人が人質になったときには、危険地帯に行って拘束されるのは自己責任だというバッシングが吹き荒れた。

 この対応の違いは何なのだろう。死んだから?

 2015年にシリアのアレッポで、湯川遥菜と後藤健二の2名の日本人が拘束されて殺されている。このときは死者への手厚い弔いはなかった。
 

性同一性障害も米が軍務解禁へ

 投稿者:たくみ  投稿日:2016年 6月28日(火)15時04分4秒
   当サイトは「ゲイの誕生」を上梓しているように、少数者差別を誰よりも嫌っている。性的少数者も平等に扱われるべきだ。しかし、LGBTをすべて一緒にしてしまう最近のLGBT報道には、いささか興ざめである。LGBT内の違いをキチンと認識して、差別解消を言うべきである。

      性同一性障害も米が軍務解禁へ  同性愛に続き
 【ワシントン=共同】米国防総省は、心と身体の性が異なる性同一性障害を公言して軍務に就くことを禁じた従来の政策を撤廃する方針を固めた。7月に正式発表する。同性愛者に関する同様の禁止規定を2011年に撤廃したのに続く措置。米主要メディアが24日報じた。
 米軍や議会では、性同一性障害の兵士が軍務に就くことについて、過酷な戦闘任務に耐えられるかなどの懸念から否定的な意見が根強かった。
 正式決定すれば、性同一性障害の兵士専用の施設整備も進められる見通しだ。米軍ではことし5月、同性愛者であることを公言したエリック・ファニング氏が初めて陸軍長官に就任したばかり。    東京新聞 2016.06.25


 同性愛=ゲイは性的指向の問題であり、性同一性障害は性自認の問題である。ゲイは自分の性別を肯定して同性の恋人を探すが、性同一性障害は自分の性別を肯定できずに、別の性別に変身したいと望んでいる。変身後は異なった性の恋人を求めるから、同性愛者ではなく異性愛者となる。そのため、両者には異なった対応が必要だった。だから、上記の米国国防総省のような対応になった。
 

酷い

 投稿者:名前どうかな?  投稿日:2016年 6月 2日(木)00時54分45秒
  今日テレビに堂々と出てた。blte?レズビアンクリスチャン?何か写真撮影で撮影者に
聖書を持った格好をと、、、、、、演出が酷い。私たちの贖い主のイエスを愚弄してる。
子供の頃悩んだ?幸せですね。私なんか病気なのに虐めにあって子供の頃どれ位辛い思い
精神どころか肉体的にも苦痛を受けて、今はようやく大人になって自分の進むべき道
クリスチャンになることによって聖書を手にすることによって平安が得られてるのに
ちゃんと聖書には書かれてますよね。何を開き直ってテレビ出演何か受けたのか。
結局金儲け。クリスチャンって名乗らないで欲しい。聖書を持たないで欲しい。
何でも自由がまかりとおってる事がおかしい。
 

映画「イミテーション ゲーム」

 投稿者:たくみ  投稿日:2015年 3月16日(月)11時04分29秒
   映画評論のサイト<タクミシネマ>を休止しているので、掲示板に書いています。
このサイトに来られる方は、アラン・チューリングがチューリング・テストの発明者で、
かつゲイだったということはご承知であろう。

 「イミテーション ゲーム」は、彼がエニグマの解読に挑んだ時から、
死ぬまでの6年間を描いて、きわめて優れた映画に仕上がっている。
エニグマの解読そのものより、解読されてからの対応に考えさせるものが多い。

1.攻撃されるのが判っていても、暗号が解読できていると知られないように、
ドイツ軍にそのまま攻撃させてしまう。そして、多くの人が死んでいくのを黙認していく。

2.暗号解読により、大規模な作戦をたてることができ、より大きな戦果を上げることができた。
その結果、1400万人の命を救えたという。

3.開戦2年目にして解読できたのだが、エニグマ解読チームの存在をすべて闇に葬ってしまう。
そして、戦後50年間、一切を秘密にしてきた。

4.エニグマ解読チームのなかに、MI-6はソ連のスパイと知りながらメンバーを紛れ込ませてあり、
彼を通じて意識的にソ連へと情報をリークさせていた。

5.1951年、アラン・チューリングはゲイとして裁判にかけられ、有罪になる。
そして、ホルモン治療を受けることを強制され、ホルモン治療の副作用で彼は自殺してまう。
2013年、エリザベス女王がアラン・チューリングの名誉回復を行う。

 いずれも重大な判断を迫られる問題である。戦争に勝つために、
国民の命を見殺しにすることや、エニグマ解読そのものを50年も秘密にしてきたこと、
ソ連のスパイを入れていたことなど、我が国では可能だろうか。

 

姦通罪の廃止

 投稿者:たくみ  投稿日:2015年 3月 2日(月)10時43分2秒
   韓国では、先月の26日に姦通罪が廃止された。

 我が国にあった姦通罪は、夫が妻とその姦通者を訴えることはできたが、
妻から夫を訴えることはできない男女差別的なものだった。
しかし、韓国の姦通罪は、我が国にあった姦通罪と違い、男女両方から訴えることができ、
女性の立場にも配慮したものだった。
その姦通罪が「姦通は倫理的非難の対象ではあるが、国家が介入する犯罪ではない」
という理由で廃止されたのである。

 韓国は2008年に夫婦単位の戸籍を廃止し、個人登録制度にかえた。
夫婦別姓だったことも手伝って、韓国は着々と情報社会に対応しようとしている。

 我が国は美しい家族共同体の維持・保護をうたい、世界の趨勢から取り残されようとしている。
 

男性差別

 投稿者:たくみ  投稿日:2014年11月18日(火)18時52分24秒
   福岡女子大に男性が受験を拒否されたことから、裁判になりそうだ。
お茶大や奈良女など、今まで女子大が存在していることが不思議だった。
大学フェミニズムは、みずからを問うことをしなかったのだね。
この裁判、ぜひ男性に勝って欲しい。
 

当たり前が

 投稿者:たくみ  投稿日:2014年10月23日(木)17時14分5秒
  朝日新聞のデジタル版によると、

「妊娠によって不当に降格させられたとして、女性が職場を訴えた訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は23日、「明確な同意」や特段の事情がない限り、妊娠を理由にした降格は男女雇用機会均等法が禁じる不利益処分にあたり違法だ、とする初判断を示した。」

当たり前のことが、最高裁まで行くとは不可解な世の中だ。
 

埼玉県警 羽生警察署 警備課の巡査長 が証拠品の違法わいせつDVDを警察署内で複製、上司らに配布

 投稿者:課長らが「自分もほしい」などと言って依頼  投稿日:2014年 7月31日(木)21時04分40秒
  人権、職業倫理という言葉を理解できているのでしょうか。

最近のニュースによると、女性警察官採用・登用拡大計画がありますが、
受験を考えている女子学生とその親御さんは、埼玉県警という組織のこの実態をよく理解した上で受験を考える必要がありますね。


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埼玉県警 羽生警察署 警備課の巡査長 が証拠品の違法わいせつDVDを警察署内で複製、上司らに配布


□証拠品のわいせつDVD複写 巡査長懲戒免職 埼玉県警 [朝日新聞]

 www.asahi.com/national/update/0705/TKY200707050336.html


 埼玉県警羽生署警備課の巡査長(27)が証拠品のわいせつDVDをコピーし署員に配っていた問題で、県警は5日、わいせつ図画頒布と児童買春・児童ポルノ禁止法違反(提供)容疑で巡査長を書類送検し、懲戒免職にした。また、コピーを依頼した同課長(55)=同日付で依願退職=らを停職1カ月の懲戒処分とするなど、当時の上司ら計9人を処分した。

 調べでは、巡査長は2月下旬~3月上旬、証拠品として押収したわいせつDVDを勤務時間中に署内でコピー、課長と別の課の巡査部長(49)に計14枚を配り、別の警部補(36)にもパソコンに取り込むかたちで画像を提供した疑い。課長に配ったとされる9枚のうち1枚が児童ポルノだった。

 DVDは、同署が2月に群馬県内のわいせつDVD卸業者を、わいせつ図画頒布容疑で家宅捜索した際に押収。巡査長と巡査部長はDVDの検分を担当していた。

 コピーに使ったとされる複製機も押収品で、巡査長は自分用にも20枚ほどコピーしたという。警部補への提供が最初だが、それを知った課長らが「自分もほしい」などと言って依頼したという。

 巡査長を最も重い処分としたことについて、県警は「断ることも可能で、厳重に証拠品を管理していた部屋に入った責任は重い」とした。階級を利用した強制や金銭の授受はなかったという。

 高橋克郎・監察官室長は「職員がこのような恥ずべき犯罪行為を発生させたことは誠に遺憾。職員への職務倫理教養と証拠品のより厳格な管理を徹底し、県民の信頼回復に努めたい」などとコメントした。

▽関連記事



□押収DVD複製で巡査長ら書類送検 [日刊スポーツ]

 www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070705-222694.html

押収DVD複製で巡査長ら書類送検

 証拠品として押収したわいせつDVDを警察署内で複製、上司らに渡していたとして、埼玉県警は5日、わいせつ図画頒布と児童買春・ポルノ禁止法違反(提供)の疑いで、羽生署警備課の巡査長(27)を書類送検した。県警は同日付で巡査長を懲戒免職処分とした。

 巡査長に複製を依頼した同署警備課長の警部補(55)ら2人を停職1カ月の懲戒処分としたほか、当時の同署長の警視(57)ら7人を懲戒処分や内部処分とした。課長は依願退職した。

 調べでは、巡査長は2~3月、課長らに依頼され、同署がわいせつ図画頒布事件で群馬県内のDVD卸業者から押収した無修正わいせつDVD15枚分を署内で複製、課長らに渡すなどした疑い。課長が受け取ったDVDには児童ポルノも含まれていた。


http://www.asyura2.com/07/nihon26/msg/454.html


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以下参照
越谷警察署 署長 緑川清正 が女性を署長公舎に連れ込みチューして停職処分
http://ameblo.jp/koshigayamidorikawa/entry-11856058524.html

埼玉県警察女性警察官採用・登用拡大計画
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/kenkei/soshiki/johokoukai/pdf/690.pdf#search='%E8%AD%A6%E5%AF%9F+%E5%A5%B3%E6%80%A7+%E7%99%BB%E7%94%A8'
埼玉県警 採用 倍率 採用試験 試験 男女共同参画 女性警察官  就活


埼玉県警 羽生警察署 警備課の巡査長 が証拠品の違法わいせつDVDを警察署内で複製、上司らに配布
課長らが「自分もほしい」などと言って依頼

 

芦部「憲法判例を読む」について

 投稿者:たまたま見つけたもので  投稿日:2014年 7月30日(水)14時34分16秒
   突然の投稿で失礼します。
 たいへん古い記事についてのものですが、芦部信喜の「憲法判例を読む」の書評について一言意見を申し上げます。
 匠さんは、本書の記述である「検閲の主体を公権力ではなく行政権だと考える説です。したがって、「検閲」と「事前抑制」は概念的に区別されます。どちらの説をとってもそれほど結論的に違うわけではないのですが、ただ、論理の筋道にちがいが出てきます。」を捉えて、芦部理論を権威主義的なものと批判されますが、これはやや的外れなもののように感じます。
 芦部が検閲の主体に司法権を含めないことの意図は、以下の通りです。
 すなわち、司法権は、場合によっては、プライバシー侵害や名誉権侵害の事案で出版を事前に差し止めなければならない場合がある。したがって、司法権を検閲の主体に含めてしまうと、検閲禁止の例外を認めざるを得ず、ひいては「検閲禁止」という概念自体が例外を含むものとなる。そのため、行政権に対する検閲禁止にも例外が生じかねない。これは、たいへん危険である。
 そこで、検閲の主体を行政権に限ることで、「検閲禁止」を一切の例外のない絶対的概念とする。司法権については、憲法が表現の自由を保障する趣旨にかんがみ、「事前抑制の禁止」という形で、事前差し止めを原則として禁じる。「事前抑制の禁止」はプライバシー侵害や名誉権侵害の事案のような例外を含む概念ではあるけれども、その例外も、表現の自由の根拠の一つである思想の自由市場という考え方を踏まえれば、極めて限定的にのみ認められる、というものです。
 このように解することで、司法権を検閲の主体に含めた場合に比較して、公権力の作用をより制限的なものとすることに芦部の意図がありました。したがって、既述のとおり、これを捉えて「権威的」というのは少々的外れであると思います。
 

「夫は働き妻は主婦」の支持率が4割

 投稿者:たくみ まさね  投稿日:2014年 7月14日(月)13時38分0秒
   7月13日の東京新聞によると、
「夫が外で働き、妻は専業主婦がよい」を支持する人の割合が、
20~40代の男性で39.3%、女性で43.0%だったという。
しかも、「子供が小さいうちは、妻は育児に専念すべきだ」を支持する割合は、
同年代の男性64.4%、女性70.9%だという。

 この記事には、女性が出産後も働き続けられる環境が十分でないから、
こんなに多くの人が性別役割分業を支持するのだという理由がつけられていた。
本当にそうだろうか。この理由はたぶん違うだろう。

 働きたい女性や働かなければならない女性は、どんな環境にあっても働いているように思う。
今後、出産後の労働環境がどんなに改善されても、
「子供が小さいうちは、妻は育児に専念すべきだ」という意見が多数を占めるのではないだろうか。
小さな子供は専業主婦が育てるべきだという信仰が、我が国の男女を覆っているように感じる。

 この信仰が、「女性は結婚して子供を産め」というヤジの背景にあるのだろう。
まずこの信仰を退治しないと、いつまでたってもヤジは繰り返される。






 
 

症例ミス・ルーシー・R (補足)

 投稿者:ヨムヨム  投稿日:2014年 3月21日(金)15時33分7秒
  先に症例ミス・ルーシー・Rをあげたのですが誤解を生じかねないので補足します。

ミス・ルーシー・Rもフロイトの初期の症例の一つで、ユングもフロイトも研究の初期にはこのような単純な構造をもった症例に触れて、神経症自体がこれらの例のように割と単純な構造で成り立ったものだと考えていたそうです。ところが研究を進めると、通常、神経症やそれに関わるコンプレックスは複雑な多層構造を成しており、それほど簡単な問題ではないことがわかってきます。

しかし基本的な概念を説明するうえでこうした単純な症例は便利であるために、実に頻繁に引き合いに出されて来たのです。そのため一般の神経症やコンプレックスに関する理解が「心のしこり」をとってやればなおるものだというほどに単純化され過ぎている、と河合隼雄さんは指摘しています(『コンプレックス』)。

心の問題というのは非常に複雑でわかりにくいので、我々はつい直観に頼ったり、複雑なものを過剰に単純なものだと思い込むことによって、誤解を生じます。これはある程度避けがたいことですね。

フロイトは意識の主体性を複雑に規制する様々な心の仕組みを明らかにすることで、人間の主観的な意識がそれほど当てにならないことを示しました。本人の自我が「どういうつもりである」という事と、実際はどうであるかはまったく別であり得るということですね。

ユングがフロイトと大きく違うのは、フロイトは理詰めで精神分析をした結果としての患者についての推論をほぼ間違い無いものだと確信を持つのですが、ユングはそうした分析を受けて患者自身がどう考えるかという問題であって分析が確定的な事実を明らかにするのではないと発想します。その意味でユングのほうが曖昧さを許容する態度といえます。

例えばある患者が分析の結果、「救世主コンプレックス」と呼ぶべきものを持っている(これはある程度、確定的に診断できる)ことが明らかになっても、その人が実際に「世の中のためになることをしたい」と考えていることが「救世主コンプレックス」によるものなのか、それともそうしたコンプレックスとは別個の健康な価値観であると見るべきかは誰にも断定することができず、強いて言えば、患者自身の自己判断を尊重するのが最も妥当な態度であろうということです。

こうした曖昧さは、あるいは非科学的かもしれませんが、それでも複雑な人間の心を扱う学問として(断定的に割り切るよりもよほど)適切なあり方であるように感じています。私が個人的にフロイトよりもユングに魅力を感じるのはこうした点です。
 

悪い癖

 投稿者:ヨムヨム  投稿日:2014年 3月20日(木)23時27分18秒
  どうも私は普段いい加減な人間なのですが、変に硬いところがあります。普通の人が「まあまあ、このぐらい普通のことだろう」と思うようなことでも、「いやそれはちょっと酷いんじゃないか」というようなことをよく思う訳です。ただそんな事を細かく言い始めたら切りがないので、硬くなりすぎるのも問題だな感じております。

研究の世界というのも随分厳しいものだなとの認識があり、特に一流の研究者には率直に敬意を覚えるので、つい立派な仕事に対しては感情移入してしまうところがあります。立派な仕事というのは非の打ち所の無い仕事という意味では無く、常人の及びうる範囲を越えているということです。

ユングは人生の最も苦しい時期を乗りこえた時に後の自分の人生は公的なものへ捧げたものだと思って生きていきます。その過程で彼の心理学が体系づけられていきます。ところがフロイトは対称的に自分のために生物学者から臨床家になるのです。というのは熱烈に愛した恋人と結婚するためにお金を稼ぐ必要に迫られたからです。こういう所は普通の人ですね。そういう二人の対称性みたいなところにも、個人的には興味が惹かれています。
 

信仰と方法的懐疑

 投稿者:ヨムヨム  投稿日:2014年 3月20日(木)20時01分6秒
  たくみさん、こんにちは。

>科学も詰まるところは信心だと言ってしまえば身も蓋もないのですが、信じると言うことについて考えています。しかし、信じるというのは思考の停止ではないでしょうか。

私は科学的な学問が宗教から離れていった重要な地点はデカルトの方法的懐疑からだと思います。一見、常識的に疑う必要が無さそうな事柄さえともかく疑ってかかってみてこればかりは間違い無く正しいと認めうる知見から出発して、さらに絶対に疑い得ないと確認できる知見だけを積み上げていく。それが科学的な方法論の出発点になっています。

ところがこの方法的懐疑さえ、そのまま純粋に徹底していれば、学問を永遠に停滞させる要因になります。それが科学は、「この辺りで良いことにしよう」というお約束を含んだかたちで真理を積み上げてきました。比喩的に表せばこういう形になります。

地上に立ってワイングラスを手にしている男がその手を離せば、ワイングラスは落下し地面にぶつかって割れる事が目に見えています。しかし本当にそうか、いつもそうかという事を疑えば確かめ無くては心もとない。そのためこの実験を100回、1000回、1万回と繰り返していきます。そして科学はあるところで、「もうこの辺で良いだろう。良いことにしようじゃないか」と言い始めます。1万回試して1万回正しければ統計的にも有意だし、とりあえず真理であることにして置こうじゃないかと。

ただし、こういう「お約束」は利便性を考慮した科学の方便に過ぎません。極端ではありますが哲学的にはワイングラスとは何ぞや、たしかに有るのかといったところから疑わなくてはなりませんし、それを除いても、1万1回目に地球が爆発して消し飛ばない保証などどこにも無いのに1万回試したら真理だなどという「お約束」には何の根拠も無いのです。

そうした意味で、科学にも「この辺で信じようじゃないか」といった「お約束」が織り込まれているのは事実です。ところが宗教は「疑いなさい」ではなくて「信じる者は救われる(信じなさい)」の世界です。

フロイトの論考についていうと、(本人の意図せざる飛躍が含まれていないとは言えませんが)方法的懐疑に従っています。つまり実験的にこういう事は間違い無く言えるという地点から出発して、そうであるならば論理的にこういうものがあると考えざるを得ない、という思考の積み重ねになっているのです。そのような研究であるからこそ、彼の研究を科学的に批判・検討して、その上に新たな学問的知見を積み上げていく事が可能なのです。

ただこれは「フロイトの研究は科学的だ」「だから絶対に正しい」「正しいと信じるべきだ」という意味ではありません。フロイトの理論に対しても方法的懐疑を適用して批判・検討する必要があります。しかし、それとフロイトの主張の疑わしい箇所を取りあげて、ああいうのは宗教みたいなものに違いない、近寄らないで置こう、というのは違う態度です。

近寄るのが正しい態度だという訳ではもちろんありませんが、近寄って検討もしないでどうせこういうものに違いないという先入観やレッテルを貼るのはいかがなものかと思います。そういう飛躍はまったく学問的でも科学的でもないように思います。特にある学問は非科学だとか宗教だという場合にはそういう批判(あるいは中傷)を受ける側にとっては一般に非常に重大な問題であり得るので、そうした発言や批判をする側にもそれなりの責任があるのではないでしょうか。

それから私は思想に宗教的なものを感じることが多いのですが、それは基本的に思想というものが価値観の体系(ないし価値観の理論的体系)という形を取ることが多いからではないかと考えています。つまりある思想を標榜するものは「私は~であるべきだと考える。なぜなら~」と語っており、その価値判断の理由を理詰めで説明をしています。ところがどこまで理屈づけたところで、「~であるべきだ」というのは価値観の表明であるので、主観的に共感するかしないか、誰を信じるか信じないかという話になってきます。その点が宗教の教義の持つ価値観の体系を思わせるところがあるのです。もちろん宗教には思想以外の要素もたぶんに含まれるし、一般的な思想とは性格が異なるところもあるので、思想=宗教という意味ではありません。
 

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